展示物

640個の小さな穴が開いたアルミ板(実物)

宇宙の地図づくりなどの観測「スローン・デジタル・スカイ・サーベイ(SDSS)」プロジェクトで使用された装置の実物の一部で、直径80センチ、厚さ3ミリ、重さ4.5キロのアルミ円盤。専用の光学望遠鏡で全天の4分の1以上の範囲を観測して詳しい宇宙の地図を描き、1億個以上天体の位置と明るさを決める調査プロジェクト。 一つずつ観測していたら膨大な時間がかかるため、観測したい天体を選んで、そのターゲットの位置に合わせてアルミ板に穴をあけ、観測しない部分を覆い隠しています。穴の部分から差し込む光は光ファイバーを使って分光器に届きます。視野を変えれば天体の場所も変わるため、一視野ごとに穴の位置の違う多数のアルミ板が作成されました。光の色でも天体が何の元素でできているかなどを知る手掛かりにもなります。
 宇宙発見ゾーンの床の模様は宇宙の大規模構造を示しています。光の点一つひとつが銀河で、銀河が全くない空間もあります。

 

スローン・デジタル・スカイ・サーベイ
 全天の25%以上の範囲を観測し、銀河などの位置、明るさ、距離を精密に測定して宇宙の地図をつくるもので、1999年にアメリカ、日本、ドイツの共同プロジェクトとして始まりました。約5年間の観測期間で全天の25%の銀河など約2億個を観測、それまでで最も詳細な宇宙の3次元地図が制作されました。

 

光電子増倍管(実物)~謎の素粒子「ニュートリノ」を捕まえろ

 

宇宙の謎、星の謎を探る「カミオカンデ」
 宇宙からやってくる素粒子「ニュートリノ」が水の分子と衝突したときに出る微細な光をとらえるため、大量の水を蓄えたタンクの壁面全体に光電子増倍管を設置、ニュートリノ以外の粒子の影響を避けるため地下深くに設けた施設。岐阜県の鉱山地下1000メートルにあり、宇宙誕生のごく初期の状態を探る理論を検証するための観測もしていました。1996年からはさらに大型化したスーパーカミオカンデで観測をしている。

 

ニュートリノで小柴博士、梶田博士がノーベル賞
 大マゼラン雲で起きた超新星爆発によるニュートリノ観測の功績で2002年に小柴昌俊博士が、ニュートリノの質量の存在を示すニュートリノ振動の発見で2015年に梶田隆章博士がノーベル賞を受賞しました。

 

ハッブル宇宙望遠鏡(1/4縮尺模型)~宇宙の天文台
 1990年4月24日、スペースシャトルで高度約600キロの地球周回軌道に投入されました。質量11トン、長さ13.1メートルの筒形で、口径2.4メートルの反射望遠鏡です。天候や大気の影響を受けることはなく、地上からでは難しい高い精度での観測が可能です。
 星の誕生の空間、星の死、太陽系外の惑星系、銀河の衝突、暗黒物質の存在、宇宙膨張の証拠、銀河中心のブラックホールの存在など、天文学史に残る数々の貴重な観測を行ってきました。当初は15年程度の運用予定でしたが、30年以上も運用が続いています。

 

ペンシルロケット(1/1模型・レプリカ)~日本の宇宙開発のはじまり
 終戦後は航空技術の研究などが禁止されていましたが、解かれた1952(昭和27)年ごろの日本の航空技術は、世界から大きな後れを取っていました。「航空機がだめならロケットで・・・」糸川秀夫教授の逆転の発想で開発されたのがペンシルロケットです。既製品の火薬を使い、形状に合わせたロケットにしたため小さなロケットにしたため小さなロケットになりました。数多く作ることができ基礎的な飛行実験の回数を増やすことができました。
 レーダー装置などの追跡設備がなかったため、1メートル間隔に貼った紙を突き破るように水平に飛行させて、飛行特性の測定をしました。
 1955(昭和30)年4月12日、最初のペンシルロケットの発射実験。日本の宇宙開発はこの日、逆転の発想、水平思考から始まったのです。

 

カッパ9Lロケット(1/6模型・レプリカ)~日本の固体燃料ロケット
 1955年、ペンシルロケットの水平発射で出発した日本の固体燃料ロケット開発は、ベビーロケット、翌1956年にはカッパロケットと着実に大型化していきました。カッパ1型(K-1)は長さ2.4メートル、直径12.8センチ、質量1.5トンで4月と12月に打ち上げられ、最高高度は350キロに達しました。カッパ9L型は、姿勢安定技術、2段目・3段目の結合切断法の確立、人工衛星打ち上げ技術の発展に大きな成果を残しました。

 

LE-7(1/1模型・レプリカ)~わが国初の大型ロケットエンジン
 H-2ロケットの第1段用に開発されたわが国初の純国産大型ロケットエンジンです。燃料に液体水素、酸化剤に液体酸素を使用、燃料サイクルは二段燃焼方式。効率は非常に良いものの、液体酸素、液体水素は極低温で扱いが難しく、燃焼サイクルが技術的に難しく、開発に10年余りの歳月を要しました。
 LE-7エンジンを搭載したH-2ロケットの1号機の打ち上げは1994年2月で、1998年2月までの6機で、地球観測衛星や通信衛星、宇宙実験衛星などを打ち上げました。
 しかし1999年11月の8号機の打ち上げが失敗し、以後、第1段エンジンはLE-7Aの開発へ、また、第1段に装備したH-2Aロケットの開発へと進んでいきました。

 

スペースシャトル(1/15縮尺模型)~再利用のロケットと宇宙船

 それまでの使い捨てのロケットや宇宙船でなく、再利用するという考え方で、1960年代後半から開発が進みました。
 初打ち上げは1981年4月12日で、最後の打ち上げは2011年7月8日です。宇宙開発活動のさまざまなミッションを行い、重要な役割を果たしてきました。しかし、1986年1月の「チャレンジャー号」の打ち上げ直後の爆発、さらに2003年2月の「コロンビア号」の地球帰還中に空中分解が起き、それぞれ7名の宇宙飛行士が亡くなるという事故が起きました。 

 

惑星探査機「ボイジャー」(1/6縮尺模型)
 木星以遠の惑星を探査することを目的としたNASAの惑星探査機で、1977年8月に2号が、9月に1号がそれぞれ打ち上げられました。1970年代後半から1980年代にかけて木星、土星、天王星、海王星、そして冥王星の外惑星は、同じような方向に並ぶため、スイングバイ航法でそれぞれの惑星に行くためには最適な時期。この機を逃すと次は175年後でした。

 

宇宙服 有人操縦ユニット(2/3縮尺模型)~命綱なしで宇宙で作業する
 有人操縦ユニットは命綱なしで宇宙空間を自由に移動し作業することができるユニットです。宇宙服を着た宇宙飛行士が背負うように装着し、手元で操縦します。窒素ガスを噴射して姿勢を変えたり移動したりできる上に、自動姿勢保持機能があって両手を使った作業もできます。
 しかし命綱がないとやはり危険なため、検討の結果、現在は使われていません。

 

無人探査車「ソジャーナ」(1/1模型・レプリカ)~火星を探査するNASAの無人探査車
 火星探査機「マーズ・パスファインダー」に搭載され、火星表面に着陸した後、自立走行して岩石や大気の調査をした世界初の火星ローバー(探査車)です。探査の結果、火星には過去に貴重な水が存在したことが明らかになりました。
 1996年12月4日に打ち上げられ、翌年7月4日火星に着陸。着陸後ソジャーナは着陸機から離れ自立走行で観測を、着陸機は地球との通信の中継などを行いました。着陸機が撮影した画像は1万6000枚に上ります。

 

子犬のような?ソジャーナ

 約3か月後、通信が途絶しました。原因は不明ですが、着陸機が故障したと考えられています。ソジャーナには「一定時間、地球との通信が途絶した場合、着陸機に近づくこと」とプログラムされていたため、ソジャーナは子犬のように着陸機の周りをまわっていたと考えられています。