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*** 水の流れを利用する工夫 ***

                 揚水水車

戦後直ぐの頃の田んぼでは足踏み式の水車が使われていました。しかしこれは人間が足踏みをすることで水を汲み上げるものでした。ここ、朝倉で使われている水車は、流れる水を動力源として、その力で水を自動的にくみ上げるタイプの水車、「揚水水車」です。人間が足踏みをしなくても川の流れを水を汲み上げる力として利用しています。二連水車と三連水車がありますが、並んだ水車が回転して水を汲み上げる姿は壮観です。
平成18年3月から朝倉市となったこの地方の田植えは、麦の収穫が終わった梅雨の時期。6月からは朝倉の揚水水車も本格的に稼働しています。
ここの水車は、水車に関する技術が結集した「水の流れを動力として利用する工夫」の最高峰の一つではないかと思います。このような電気もエンジンも使わない水車を約250年前の江戸時代に作り上げた先人の努力や工夫には脱帽です。


  菱野三連水車(手前)と三島二連水車(橋の先)


朝倉の水車群は堀川用水と呼ばれる潅漑用の水路に沿って設置されています。
今から約250年前の宝暦(1760年代)にはすでに水車があったらしいと言われていますが、ここの水車群の中で最も有名な「菱野三連水車」は寛政元年(1789年)にそれまで二連の水車だったものが一基増設され三連になったという記録があるそうです。
菱野三連水車の最も川上側の水車(上車、写真手前)の直径は4.76m、真ん中のもの(中車)の直径が4.30m、後部のもの(下車)が3.98m。いずれもかなり大きなものです。揚水量はこの三連水車のみで毎分約6トン。

筑後川から引き入れられた堀川用水はこの地域の潅漑用水として広く使われていますが、堀川用水の山側(北側)は若干高くなっているためそのままでは堀川用水から水を得ることが出来ません。そのため、これらの水車が工夫されたそうです。
堀川用水の水を汲み上げ(揚水して)堀川用水の水面より高く持ち上げることで山側の農地にも水を送る役目を果たしています。。

現在、朝倉水車群には、菱野水車と呼ばれる三連水車が1基と三島水車、久重(ひさしげ)水車と呼ばれる二連水車2基が稼働しています。これらの水車は実際に潅漑用として使われており、現在3基の水車で約35ヘクタールの農地の潅漑に利用されているそうです



  筑後川の水は、図の右下の山田堰から堀川用水へ取り込まれます。
  堀川用水に沿って右から「菱野三連水車」、「三島二連水車」、「久重二連水車」が
  並んでいます。


世界で最も古い水車と言われているものは紀元前1世紀にギリシャで作られたもので、水平に回転する水車だったそうです。このころギリシャのあたりでは、製粉用の水車や揚水のための水車がすでに使われていた様です。日本には中国から伝わりました。この種の揚水水車は「筒車」と呼ばれ中国では約350年程前から使用されていたそうです。

人力で水を汲み上げる「踏車」と水の流れという自然のエネルギーを利用し、自動的に水を汲み上げる「揚水水車」では「工夫の程度」という観点からは雲泥の差がありますね。先人の工夫と努力が見事に結実したものだと思います。


  水車を回すためのには水の落差が必要
  このため水車の前には堰が設けられています


用水の流れに通常の流れより大きな落差を生じさせるため水車の手前には堰が設けられています。堰でせき止められた水の一部が水車の下の部分に流れ込みます。一度堰でせき止められるために水車の下部では水の流れが速くなって、勢いよく水車の羽根板に当たります。


  羽根板に当たる水の勢いで水車が回ります


羽根板は水の流れに押されて下流側に回り、水車の両サイドに取り付けられている容器(柄杓/木製バケツ)で同時に水を汲み上げます。


  下流側では同時に水を汲み上げます



  汲み上げられた水は水車の回転により上に持ち上げられ、
  樋の中に水をはき出します



  汲み上げられた水は樋で集められます。
  菱野三連水車は毎分約6トンの水を汲み上げます。



  音をお聞かせ出来ないのが残念です。
  蒸気機関車が川の中を走っているような印象です。
  上の写真は菱野の三連水車です。



水車は今ではのどかな田園風景を彩るものという印象がありますが蒸気、電気、エンジン等の動力源がなかった時代、水車は動力を得るための極めて実用的なものでした。
特に中世ヨーロッパでは、製粉や揚水だけでなく、多種多様な工業生産用の動力として活用されました。日本でも線香用の杉の葉の粉砕や澱粉工場の動力、製茶、製紙等さまざまな用途に使われていました。


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