空を飛ぶことへのあこがれ
2003年はライト兄弟の初飛行から100年に当たり、飛行機に関する話題が数多く取り上げられました。鳥のように空を飛ぶことは昔から人類のあこがれであり夢でした。今では飛行機で飛ぶことは日常的な事となっていて、特別のことではありません。しかしながら、私たちにとっても飛行機に簡単に乗れる様になったのは最近のことです。昭和20年代後半、私はまだ小学生でしたが空を飛ぶ駐留米軍の飛行機を見て、一生のうちに一度くらい飛行機に乗る機会があるだろうか考えたことを思い出します。
ライトZ弟の初飛行の前にも偉大なステップ
新しいものが出てくる時には誰が「最初に成功する」かで争われ、最初に成し遂げた人は称えられます。しかしながら、何かが「実現・成功」されるまでには大きな大きなステップがありそれを踏み台にして偉業が成し遂げられるケースは多いだろうと思います。「空を飛ぶ工夫」という点では確かにライト兄弟は偉業を成し遂げましたが、「空を飛ぶ工夫」ということでは、彼らの他に2人の先人に目を向ける必要があると思います。
「推力」が得られれば「揚力」も得られるという発見。
=白鳥の様な大型の鳥は飛び上がる前に助走!=
白鳥やアホウドリの様な大型の鳥が飛び上がる前に、飛行機が滑走する様に「助走」している姿をテレビや映画で見たことがありませんか? 体の重さが重くなると、単に羽根を羽ばたくだけでは空中に浮かぶことは難しいのです。
大きな鳥が飛び立つ際に「助走」をしているのは、羽ばたかなくても翼に風を受ければそれを持ち上げようとする力「揚力」を得ることが出来るからです。
前に走ることで翼には揚力が発生し、体を上に持ち上げようとします。十分な早さ、つまり翼に十分な早さで風があたれば羽ばたかなくても体は持ち上がるのです。この発見は飛行機を考える上で重要なことでした。前に進んで羽根に風があたる状態を作り出せば空に浮かぶことが出来るということです。
=ジョージ・ケイリー=
十分な「推力」があれば「揚力」が得られるという発見
羽ばたかなくても飛べる −飛行機の原型を考案−
イギリスのジョージ・ケイリーは1804年に、風を受けて上昇する凧からヒントを得ました。羽根(翼)に風が当たれば、たこは上昇することから、羽ばたかなくても、風を受けることが出来れば空に昇ることが出来ると考えました。充分な「推力」が得られれば「揚力」も得られるという重要な発見でした。彼は凧を翼として利用した飛行機の原型を考えました。飛行機の実現への大きな貢献と呼べるものです。
グライダーで初めての有人飛行
ケイリーはこの考え方に基づきいろいろな形のグライダーを考えました。彼の考えに基づいて作られたグライダーで、1849年には彼の使用人の10才の子どもが空を飛びました(空中に持ち上げる力が弱いため子どもしか乗せられなかった)。その4年後、改良した彼のグライダーは、彼の馬車の御者を乗せて275mの飛行をしました(これはライト兄弟の動力飛行機による初飛行の50年も前のことです)。
=オットー・リリエンタール=
機体の空気力学性能の向上の工夫 −飛行実験の積み重ね−
動力飛行のための工夫に関する先人としてオットー・リリエンタールの貢献も貴重です。グライダーで飛べることは分かりました。推進力を得るために適切なエンジンをのせれば飛行機が完成しそうです。しかしながら、人の重さだけでなく、エンジンの重さも加えても飛び立つだけの「揚力」を得る必要がありました。
このため彼は、エンジンを飛行機に搭載する前に、まず機体の空気力学的な性能を高める努力を重ねました。彼は自分で設計した種々のグライダーで2000回以上もの飛行テストを行いました。
ライト兄弟の動力飛行実現にも大きな力
彼の飛行テストは小高い丘から駆け下りて飛ぶというもので、飛行機というよりハンググライダーのイメージに近いものでしたした。しかし、翼の効率的な形状等の考える上で極めて重要なものでした。彼は1896年のテスト中に突風にあおられ地面に激突し亡くなりました。彼は途中で命を落としましたが、飛行機の実現のために大きな貢献をしたと思います。ライト兄弟は彼のことを非常に尊敬していましたし、彼らの動力飛行実現に大きな参考になったはずです。
=ライト兄弟=
操縦可能な機体の考案、科学的なアプローチ
リリエンタールの事故死をきっかけにアメリカのライト兄弟は飛行機の開発に参入しました。彼らが飛行機開発に参入する頃の機体を適切にコントロール出来るようなものではありませんでした。彼らはリリエンタールが死んだのはグライダーを適切にコントロール出来なかったからだと考えました。彼らは飛行の原理や先人の研究成果、更に鳥に関する研究等を参考にしながら、機体を制御する方法を考えるとともに、エンジンを自作で作る等の努力も行いました。
風洞実験の繰り返し
このため動力飛行の成功に先立ち、グライダーを試作したり風洞と呼ばれる実験装置を自ら開発してテストを繰り返しました。彼らのグライダーの3号機は現在の飛行機の様に、機体を上下左右にコントロールするため装置を備えていました(飛行機のコントロールの基礎を考案した)。この3号機が作られたのは、1902年のことで、彼らが動力飛行に成功する1年前のことでした。彼らの成功は科学的、論理的な努力の積み上げの上に達成されたものでした。
ライト兄弟が開発した風洞(複製)
ライト兄弟が飛行機開発に参入したころは機体を適切にコントロール出来るような仕組みはありませんでした。彼らは動力飛行の成功に先立ち、グライダーを試作したり、「風洞」と呼ばれる装置を自ら開発し実験を繰り返しました。
彼らのグライダーの3号機は現在の飛行機の様に、機体を上下左右にコントロールするため装置を備えていました。この3号機が作られたのは、1902年のことで、彼らが動力飛行に成功する1年前のことでした。
この写真はライト兄弟が開発した「風洞」の複製です。
論理的な積み重ねの勝利!
ライト兄弟の偉業は、先人の積み重ねの成果を確実に活用し、自分たちも科学的なアプローチを重ねた「達成さるべくして達成された」成功だったかもしれません。
ともすれば最初の動力飛行を成し遂げた人として称えられますが、自分たちで「風洞実験装置」を開発し科学的、論理的に積み重ねたという行為こそが最も重要なことではないかと思います。
この積み重ねの結果として1903年12月17日ノースカロライナ州キティーホークの砂浜で、自作のエンジンによる人類初の動力飛行に成功という栄誉がもたらされたのだろうと思います。