年 | 発明・発見等 | 備考 |
17,000年前 | ラスコー洞窟壁画 | 野牛、野生の馬等が洞窟の壁面に描かれている |
1世紀 | ローマの博物学者プリニー(Pliny)は銀塩の感光性について言及。 | |
8世紀 | アラブの錬金術師で医師のJabir Ibn Haiyan(Gerber)は硝酸銀は光に当たると黒くなることを記述。 | |
1556 | ファブリウス(Georg Fabrius 独)硝酸銀の感光性再発見。 | |
1614 | サラ(Angelo Sala 伊)粉状の硝酸銀の太陽光への感光性を記述 | |
1677 | ボイル(Robert Boyle英)硝酸銀の感光性について言及。 | |
1693 | ホンバーグ(Willhelm Homberg独)硝酸銀の感光性について研究。 | |
1727 | シュルツ(Johann Heinrich Schulze 独)硝酸銀の感光性を発見 | 物質によっては光線が当たると色が変わることは古くから知られていた。Schultzeは熱ではなく光によって硝酸銀の色が変わることをはっきりとした実験で検証、感光性を発見した。 |
1817 | ベルゼリウス(John Jacob Berzelius スウェーデン)セレン(Selenium)を発見 | セレンは1873年にWilloughby Smithによって光が当たると電気抵抗が減少するという発見がなされるまで、あまり関心を持たれる元素ではなかった。 |
1826 | ニエプス(Joseph Nicephore Niepce 仏)がヘリオグラフ(Heliograph, アスファルト写真)を発表。 | 現存する最古の写真はニエプス(Niepce)のアスファルト写真。1枚の撮影に6−8時間の露光が必要だった。ヘリオグラフ(太陽の描く絵)と命名。 |
1832 | プラトー(Joseph Plateau、ベルギー)フェナキストスコープを考案。スタンファー(Simon von Stampfer オーストリア)ストロボスコープを考案。 | 2人は全く別々に残像を利用した装置を考案。回転する円盤を覗くと動画が見える装置を発案した。プラトーはフェナキストスコープと呼び、スタンファーはストロボスコープと呼んだ。動画/映画/ビデオの基礎となる動いているものを動いているように記録するための基本的なアイディア。 |
1839 | ダゲール(Jacque Louis Daguerre 仏)のダゲレオタイプ法(Daguerreotype)が公表された。沃化銀(感光材料)水銀蒸気(現像)食塩水で定着。 | ダゲレオタイプは、銀板写真と言われるもの。銀メッキをした金属板の上にポジ画像を定着。露光時間は10−20分。その後改良され、露光時間は1分以下になった。銀メッキをした金属板への直接記録のため左右が逆の像となる。フランス政府はこの発明を買い上げ、公開した。このためダゲレオタイプは広く普及した。 |
1839 | バクレル(Edmund Becqurel仏)電解液に浸した2つの金属電極の一方に光を当てると金属間を結んだ電線に電流が流れる現象を発見。 | 現在の太陽電池等に結びつく最初の発見。 |
1841 | タルボット(William Henry Fox Talbot英)がカロタイプ(Calotype, 感光紙を使ったネガ−ポジ法)を発表。撮影時の露光時間は晴天の屋外で1分程度。 | 初めてのネガ−ポジ法考案。紙ネガ写真を紙ポジ画像に反転。ダゲールより早く(1835年に)写真を発明したと主張したが、技法を秘密にしたため認められず。このため、更に感度を大幅にアップ等、改良してカロタイプとして発表。ダゲレオタイプは1枚しか画像が得られないがカロタイプは複数のコピーを作ることが出来た。 |
1843 | ベイン(Alexander Bain 英)ファクシミリを考案(化学ファクシミリ)。イメージを分割・走査し信号にして伝達し、それを受信再生すれば元のイメージを見ることが出来るというスキャンの概念を考案。 | 電信の実用化に向けてまだ多くの人が競っていた時期(モールスがワシントンとボルチモア間でモールス式電信を開通させたのは1844年)であり、ベルが電話を発明(1876年)する30年以上前にBainはファクシミリを考案し特許を取得した。イメージを分割・走査し、それを再生するという概念は現在の電磁的な記録の根本を成す概念の一つ。ファクシミリだけでなくテレビ画像の構成の基礎となっており、テープやディスクへの記録も対象となるイメージを分割・走査するという技術が使われている。 |
1848 | ベイクウエル(Frederick Bakewell 英)Bainのファクシミリ(化学ファクシミリ)を改良し回転ドラムにイメージを巻き付けて使うファクシミリを考案。 1851年のWorld Exhibitionで実演。 | Bainのファクシミリを改良。画像をスキャンするのにドラムを利用。ドラムに巻いた画像を電気が通るかどうかを探る針で走査した。ドラムに巻き付けて走査するタイプのファクシミリ(写真電送機)は1990年頃まで新聞社や通信社等で使われた。 |
1851 | アーチャー(Frederick Scott Archer英)コロジオン湿板写真法(Wet Collodion Process)を発表。これにより撮影の露光時間が数秒まで短縮。 | ガラス板の上に塗布して使う湿板を発明。湿っている内に使わなければならない等の制約はあったが、詳細なネガを得ることが出来ると共に露光時間を数秒まで短縮することになった。Archerは特許を取らなかったこともあり、このコロジオン湿板写真は急速に普及した。 |
1853 | マルタン(Adolphe Alexandre Martin 仏) ティンタイプ(Tintype)を考案 | ティンタイプ(Tintype)と呼ばれるものもアンブロタイプと同種のもので、湿板のガラス板の代わりに薄鉄板に黒い表面処理を施したものを使用した。黒い表面処理がアンブロタイプの黒紙等と同じ働きをしてポジ像が見える。Tin(錫)ではなく実際には鉄板が使われた。フェロタイプ(Ferrotype)とも呼ばれる。 |
1854頃 | アーチャー(Frederick Scott Archer とPeter Fry英)はアンブロタイプ(Ambrotype)を考案。 | コロジオン湿板で撮影したガラスネガに下に黒い紙等を置いて見るとポジ像が見えることを利用したもの。 |
1854 | ペリー艦隊に随行した写真家のブラウンにより日本で写真の撮影がされた。 | 日本最古のダゲレオタイプ写真 |
1857 | オランダ船で持ち込まれたダゲレオタイプの研究(薩摩藩)の結果を踏まえ、日本人により写真撮影された。 | 薩摩藩主 島津斉彬の銀板写真(ダゲレオタイプ)が現存する |
1861 | マックスウエル(James Clerk Maxwell 英)はカラー写真システムを発表。 | 光の三原色(加色法。赤、緑、青)それぞれのフィルターを付けて撮影した写真を3枚重ねて投影することでカラー写真を実現した(投影して見るカラー写真で、紙焼き等はない)。 |
1862 | 薩摩藩御用商人 上野俊之丞の第4子 上野彦馬が長崎に日本で初めての写真館を開設。 | |
1865 | 1855年頃からカセーリ(Giovanni Caselli伊)はBainのFaxを改良に着手。Pantelegraph(All Purpose Telegraph)と称するファクシミリを開発。1865年Pantelegraph は仏のナポレオン3世の熱烈な支持を受けを世界初の商用ファクシミリとして運用。パリとリヨン他のフランスの都市の間の通信に使用。 | 初のファクシミリの商用利用。通信線を使って画像の送信がフランスの都市の間で行われた。 |
1869 | オーロン(Ducos Du Hauron)(仏)は減色法によるカラー写真の原理を発表。 | 当時入手できる材料として適切なものがなかったためすぐに実行には移されなかったが、絵の具の三原色(減色法。シアン、マゼンタ、イエロー)によるカラー写真原理を考案。彼はこれに先立つ1868年にカラー印刷法も考案している。 |
1870 | ハイアット(John Wesley Hyatt 英)がセルロイドの特許取得。 | セルロイドは後にフィルムのベースとして使用されることになる。ただし可燃性の強い材料だった。このため現在ではフィルムのベースは燃えにくいものに変えられている。 |
1871 | マッドクス(Richard Leach Maddox 英)がゼラチン写真乾板を発明。 | 取り扱いが面倒なコロジオン湿板に代えて臭化銀ゼラチン写真乾板を発明。これより以前(1857年)にRichard Hill Norris(英)がコロジオン乾板販売会社を設立したが、感度が低くてゼラチン写真乾板が登場するまでコロジオン湿板が主流だった。 |
1873 | フォーゲル(Hermann Vogel 独)は、それまで赤い光には感度のなかった写真感光材料を改良し、可視光線の全域をカバーする感光材料を考案。 | コロジオン湿板をアニリン(染料の原料)で処理することで感光幅を広げることが出来ることを発見した。全可視領域をカバーする白黒感光材料が開発されたことでカラー写真開発の基礎が出来た(カラー化のために3原色フィルターを使うが、このためには3原色のどれもに感光する感光材料が必要)。Vogelは逆に肉眼で見えないものがコロジオン湿板に写っていることも発見しているが当時その重要性が認識されなかった。その40年になって見えないものを探る放射線写真が登場した。 |
1873 | スミス(Willoughby Smith 英) セレンに光を当てると電気抵抗が低下する現象を発見 | 光の強弱がセレンの電気抵抗を変化させることの発見。光の強弱を電気抵抗の強弱に変える装置の基になる発見。 |
1881 | ビッドウエル(Shelford Bidwell 英) Tele Photographyと呼ばれるセレンの光による電気抵抗の変化を利用して画像をスキャンするファックスを開発、送信に成功。ドラムに巻き付けた画像をスキャン | スキャン結果を電気抵抗の変化に変換する方式のファクシミリの発明。BidwellはScanning Phototelegraphと呼んだ。 |
1884 | ニプコー(Paul Nipkow 独)ニプコーディスクを考案。動くイメージをスキャンする方法を考案。被写体とセレン受光素子の間に急速に回転する円盤(螺旋状に穴の空いた)を置いて、動くイメージをスキャンする原理を考案。 | 穴を空けた円盤で画像を走査するニプコーディスクと呼ばれる装置が考案された。連続的に画像をスキャンして動画を見せるテレビ画像の基礎になる発明。現在のテレビの走査技術も源はここにある。 |
1889 | イーストマン社(後のイーストマン・コダック社)は100枚撮りでセルロイドベースのロールフィルム入りのカメラ(Kodakと称した)を発売。撮り終えたらカメラごとメーカーに返却しメーカーは、現像・プリントをすまし、ロールフィルムを再度セットして送り返すシステムを採用。 | セルロイドベースのロールフィルムの登場する前に、紙に感光乳剤を塗布した紙で出来たロールフィルムもあったが、柔軟性の高いセルロイドベースのフィルムが登場した。柔軟性の高いフィルムの登場で、映画の出現のための一つの基礎も出来た。また、イーストマン社は "You press the button, we do the rest."(あなたはボタンを押すだけ、後は我々におまかせを!)をスローガン。カメラの大衆化に貢献。 |
1891 | エジソン(Thomas Edison)はKinetograph カメラ(ムービーカメラ)とKinetoscope(映写機ではなく一人で覗き込む方式の動画鑑賞機)の特許を取得。 | |
1891 | リップマン(Gabriel Lippman 仏)が光の波長の違いによる光の干渉を利用した1枚のプレートによるカラー写真を考案。初めて1枚のプレートによるカラー写真の発明によりノーベル賞を受賞。 | ノーベル賞に輝いたが、露光時間が長い等の問題があり、Lippman法のカラー写真は結局、普及しなかった。 |
1891 | イーストマン社は日中に装填出来るロールフィルムを発売 | |
1894 | ジョリー(John Joly アイルランド)は細い線状のフィルターを使った単一のプレートの上で撮影出来るカラー写真を発明。 | 初の1枚のプレートによるカラー写真。細い線状(1インチに200本程度)の3色のフィルターを単一プレート上に並べたカラー乾板。透過光型のポジ画像が得られた。 |
1895 | ルミエール兄弟(Auguste & Louis Lumiere)はCinematographと呼ばれる投影方式の映写機の特許を取得。パリのカフェで初の動画を上映。 | |
1902 | 小西屋六兵衛店六桜社(現 コニカ)設立。乾板、印画紙の製造を開始 | |
1903 | 六桜社「チェリー手提暗箱」カメラを発売 | |
1904 | ルミエール兄弟(Auguste & Louis Lumiere)が初めて商業的に成功したカラー写真法を発明(Autochrome Process).1904年に特許取得。1907年から市販。 | でんぷんを3原色に染色し、混合。混合したでんぷんを白黒乾板の上に塗布し炭素粉で残りを塞いだもの。色を付けたでんぷんの粉が3原色のフィルターの役目をさせたカラー写真。カラーのポジ画像がガラス板の上に得られた。でんぷんの粒径はおよそ1/40mm程度。実質的な商業的なカラー写真の始まり。 |
1906 | Wratten & Wainwright社(英)が全域カバー型乾板の発売を開始。 | |
1912 | フィッシャー(Rudolph Fischer 独)カラー発色現像法を考案。 | フィルム感光剤の中で現像による発色する現代の方式のカラーフィルムと基本的に同一の方式。 |
1925 | 六桜社(現 コニカ)ベスト版小型カメラ「パーレット」発売(ロールフィルム使用) | |
1935 | 初めての3層塗布式のカラーフィルム(Kodachrome)発売開始。 | 音楽家でありアマチュアの写真家のLeopold MannesとLeopold Godowskyはコダックの研究所で最初の本格的な乳剤を3層に塗布したカラーフィルムを開発。この方式は現像が複雑なため主流ではないがKodachromeは現在でもカラーフィルムとして発売されており使われている。 |
1953 | NHKテレビの本放送を開始 | 1948年公開試験、1950試験放送開始に続き、本放送を開始。 |
1956 | 米国アンペック社 回転4ヘッド方式のビデオテープレコーダー発表 | |
1959 | 東芝が1ヘッドヘリカルスキャン方式のビデオテープレコーダー試作機を公開 | 国産初のVTR。世界でもアンペックス社に続く2番目に実用化されたVTR。ヘリカルスキャン方式は、現在ほとんどすべてのVTRに使われている。 |
1960 | NHKカラーテレビ放送を開始(東京・大阪) | |
1981 | フィルムを使わず磁気デスクを利用するカメラ発表(ソニー 「マビカ」試作機)。 | |
1985 | つくば科学万博開催 | つくばエキスポセンターのプラネタリウムでは、ハイビジョン放送に先がけて、ハイビジョン映像を4.8mx8.0mの大型スクリーンに投影。 |
1986 | レンズ付きフィルム「フジカラースーパーHR100」(写ルンです)登場 | |
1986 | キャノンから世界で初めて電子スチルビデオカメラ「RC-701」が市販 | ボディーだけで39万円、システム一式では500万円にも達する高価格な製品。主に報道など業務用に用いられた。 |
1991 | NHKハイビジョン放送局を開局 | |
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